目覚め




この作品はコードギアス 亡国のアキト 第2章のネタバレを多大に含んでおります。
まだ映画を見ていない方、ネタバレをご存じない方は今すぐ回れ右して下さい。























































 豪華絢爛、まさにその言葉が相応しい装飾が施された部屋の中央に、大人四人は軽く横になれる大きなベッドが置かれている。そのベッドの上に、彼は虚ろな瞳で、体を起こした格好のまま座り込んでいた。
 何も映さないガラス玉のような瞳に、スザクはぎりぎりと歯を食いしばる。
 なぜ、何も映さない。
 なぜ、気づかない。
 なぜ、自分を見つめない。
 なぜと、無機質なもののように何も映そうとしないその瞳がひどく苛立つ。力強い意思を宿した瞳に、いつだって魅入られていたスザクは、何も映さない虚ろな瞳が憎くてたまらなかった。
 目の前にいる彼は、自分が知っている彼ではない。苛立ちをぶつけるべき相手ではないと知っているからこそ、ぶつけられない苛立ちをスザクはひたすら堪えるしかなかった。
 腕を組み、壁に寄りかかりながら、スザクの視線はずっと彼に向けられていた。ぴくりとも動かずにベッドの上に座り込む彼を、スザクもまたかすかな動きも見逃さまいと、凝視し続ける。
 長い、長い時間をそうして過ごして、いい加減スザクも焦れ始めた頃ようやく、彼はぴくりと動き出す。ごくりと息を呑む音が、部屋に大きく響いた。
 半分以上伏せられていた目蓋が、ゆるゆると持ち上がる。それまで何も映さない虚ろな瞳に、少しずつ色が戻り始めた。その色を、スザクはよく知っている。
 完全に瞳が開ききったその時、その瞳はスザクが良く知っている輝きを放っていた。そう、いつだって人々を魅了せずにはいられなかった紫水晶(アメジスト)の瞳――。けれどその片目はスザクが知っている紫水晶ではなく、血を滲ませたかのような紅玉(ルビー)。スザクが焦がれてやまなかった色ではなくなっていた。
「――誰だ?」
 不機嫌をあらわに問いかけるその声を、スザクは知っている。けれど目の前の男は、自分を知らない。目の前の男はもう、彼ではないから。
 願った、はずだった。それなのにどうして、こんなにも胸が痛いのだろうか。
「お目覚めのようですが、ご気分はいかがですか?」
「最悪だ」
 貴様のせいでなと、言葉を発することなく瞳がそう語っていた。
「医師をお呼びしましょうか? それとも――」
「私が誰だと聞いている。答えろ」
 苛立ちもあらわに、男は問いかける。
「枢木、枢木スザクです。ジュリアス・キングスレイ様」
 男――ジュリアスは、ふうんと興味なさそうに返す。そうしてスザクの頭のてっぺんからから足の爪先までじっくりと眺めてから、にやりと笑う。スザクが知っている、良くないことを企んでいるときの笑み。
「ナンバーズがラウンズか。なあ、お前。何を捨てた?」
 くすりと笑うその姿に、こみ上げる苛立ちをスザクはぐっとこらえる。


 ――お前が、お前がそれを言うのか……っ!!


 無表情のまま、何も答えずにいれば、気分を害することなくジュリアスはくつくつと喉を鳴らす。
「ああ、なるほど。そんなに大切だったのなら、手放さなければ良かったんだ」
 その言葉に、カッと頭に血が上る。視界が真っ赤に染まった衝動のまま、スザクは持っていた拳銃の銃口を何も考えずにジュリアスへと向けていた。
 恐怖にその瞳が彩られることなく、むしろ面白いものを見つけたと語る瞳は、向けられた銃口を見つめながらうっそりと笑う。
「私を殺すか、スザク?」
 お前にそれができるのか?と、楽しげにジュリアスは笑う。
 何も覚えているはずがないのに。過去の記憶は全て消され、代わりにブリタニアに都合の良い記憶が植え付けられたはずだった。それなのに、なぜこうもジュリアスは何もかも知っている様子なのか。
「殺せないのなら、そんなものを私に向けるな」
 不愉快だと、言葉とは裏腹にジュリアスの表情はどこか楽しげだった。
 ギリギリと奥歯を噛み締めながら、それでも拳銃を下ろすことなく、スザクは銃口をジュリアスへと向けていた。ぺたりと、素足のままベッドから降り立ったジュリアスは、ぺたり、ぺたりと足音を立てながらスザクへと少しずつ近づく。
 何をする気だとその様子を窺いながらも、スザクはジュリアスから決して銃口を逸らそうとはしなかった。そうしてそのまま近寄ってきたジュリアスは、スザクが持っている拳銃へと手を伸ばすと、銃口の先を自分の心臓へと向けた。
「ここを撃てば、俺は死ぬ。なあ、撃たないのか?」
 妖艶な笑みを浮かべながら、こてりと首を傾げてジュリアスは問いかける。
 撃てないものだと知っているジュリアスの問いかけに、ギリギリと奥歯を噛み締めながら、スザクは持っている銃の引き金に力を込めようとした。


 ――引き金を引けば、全てが終わる。そうすれば、そうすれば……っ!


「スザク」
 やさしい、やさしい呼びかけだった。それは、スザクがよく知っている彼がいつも呼びかけてくれるときの声――。
 はっと目を見開いたそのとき、生暖かいものが唇に触れた。あっと思ったときには、スザクはジュリアスによって床に押し倒されていた。
 真上から覗き込むように見下ろすジュリアスを、スザクは呆然と見上げる。一体何が起こったというのか。
「なんだ、初めてだったのか? ああ、それとも好きな奴以外とはしたくないというやつか?」
 するりとスザクの頬を撫でたジュリアスは、その顔を覗き込む。
「かわいいな、お前は。気に入ったよ、スザク」
 子どもがお気に入りの玩具を見つけたときのように、頬を紅潮させながらジュリアスはうっそりと笑う。
「私はお前が気に入った。そしてお前は、飢えている。これは利害の一致だと思わないか?」
 頬に触れていた手は、きっちりと閉められていた襟を解くと、そのまま手を忍ばせる。
「なあ、スザク」
 私を抱いてみないか?と。耳元で甘くささやく声に、はっとようやく正気に戻ったスザクは慌ててジュリアスを投げ飛ばすように引き離した。
「……っ!」
 正気を取り戻したスザクに急に投げ飛ばされた形となったジュリアスは、受け身を取ることもできず、スザクがあっと気づいたときには、強かに背中を床へと打ち付けていた。
「キングスレイ様!」
 大丈夫ですかと、慌てて駆け寄れば、ぐいっと襟を引かれた。
「良くもやってくれたな」
 先ほどまでの上機嫌から一転、不機嫌をあわらにジュリアスはスザクへと詰め寄る。今のことを上に報告されたところでスザクが罰せられることはないけれど、まずいことになったと己の迂闊さにスザクは内心で舌打ちをする。
「キングスレイ様、今のは――」
「違う」
 はっきりとそう返したジュリアスに、スザクは体を硬直させる。まさか、今の衝撃ごときでと、スザクは信じられない面持ちだった。
「違うぞ、スザク。私のことはジュリアスと呼べ」
 予想とは違う結果に、そろそろとスザクは息を吐き出す。
「ジュリアス様」
「それも違う。スザク、私をあまり怒らせてくれるな」
 ジュリアスを怒らせたところで恐れることはなかったが、機嫌をあまり損ねるわけにもいかなかった。
「ジュリアス」
「そう、良い子だ」
 褒美だと、機嫌を直したかと思ったジュリアスは、もう一度スザクへと口づけた。スザクの動体視力ならば避けられたそれは、あまりの衝撃の強さで避ける暇もなかった。
「……な、何をっ!?」
「言っただろう、褒美だと。不服か?」
 私に口づけされたというのにと、笑うジュリアスは大層美しかった。大抵の人間ならば、男女問わず屈服せずにはいられない美しさに、けれどスザクは膝を折ることはない。ジュリアスよりも美しい男を、スザクは知っている。
「あなたに口づけされるいわれはない」
 二度とこんなことをするなと吐き捨てれば、ふうんと流したジュリアスはうっそりと笑う。
「やっぱりお前は面白いな。ああ、うん。お前は私の専属だ、スザク」
 ジュリアスが気に入ろうが、気に入らなかろうが、監視役としてスザクが常にその側にはべるのはすでに決定事項だ。それを知らないジュリアスを愚かだと思うのに、スザクの心はひどく苛立っていた。
「私の本気を舐めるなよ、スザク」
 ぺろりと、ピンク色の唇を真っ赤な舌で舐め取るジュリアスの瞳はすでに、獲物を駆る肉食獣のそれだった。
「あなたのように非力な方に、俺をどうこうできるとは思えませんが」
「言ったな、スザク。覚悟をしておけよ」
 楽しげに笑うジュリアスを、スザクは苦々しげに見下ろす。
 その傲慢さも、その強さも、何もかも彼と瓜二つなのに。向けてくるやさしさと、何よりその瞳の色だけが彼とは違う。
 憎いはずなのに。憎しみしか残っていないはずなのに。なのにどうして、湧き上がってくるこの感情は一体なんだというのだろうか。



End.