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最期の約束だ、ルルーシュ。
絶対に君のことは忘れずに、覚えているよ。










 ベッドに腰掛けながら、スザクはベッドに横たわって眠るルルーシュの髪を優しい手つきで梳く。深く眠っているのか、普段ならば絶対に目を覚ますはずのルルーシュは目を覚ます気配すら見せない。色濃く刻まれた疲労の色に、ルルーシュの疲れ具合が見える。
 自分はルルーシュに酷なことを強いているのだろうか。戸惑い、迷いそうになるたびに、最早立ち止まれないのだとスザクは自分に言い聞かせる。すでに鎮魂歌の終曲は奏でられた。最早誰にも止める術はない。後戻りもできず、ただ演奏が終わるのを待つことしか赦されない。世界もまた、終曲が奏で終わるのを待っている。
「後悔しているのか……?」
 気配も音もなく、いつの間にか部屋の片隅にたたずむC.C.に微かに驚いたあと、スザクはゆるくかぶりを振った。
「後悔なんてしていないよ」
 後悔などするはずがなかった。だってルルーシュは、罪のないユフィを殺した。ゼロを――ルルーシュを殺す。それは自分の何よりの願いだった。だからこれは、その願いの結果。
「本当にか……?」
「しつこいよ、C.C.」
「なら、なぜお前は泣いているんだ?」
 指摘され、頬へと手を伸ばしたスザクはそこでようやく、自分が泣いていることに気がついた。
「これは……」
「後悔していない人間が、こいつを前にして泣く理由はなんだ、スザク?」
 ぽたり、ぽたりと頬をつたって落ちた涙は、シーツに吸い込まれていく。とまらない涙に、スザクはルルーシュの手をそっと握りしめた。温かなぬくもりは、出会ったときと何ひとつとして変わらない。変わったのは――。
「…………約束は、叶ったんだ」
「スザク?」
「昔、ルルーシュと約束したんだ。僕が騎士になって、ルルーシュを皇帝にしてやるって。成長したら、そんなの夢物語だと思っていた。でも――」
 幼かった頃は信じていた。純粋に、ただルルーシュとの約束を守ろうと。けれど成長し、現実が見えたときに分かってしまった。約束は、単なる夢物語に終わると。夢物語だと思っていた約束は果たされた。それは双方にとって望んだ形ではなかったけれど。
 握りしめていたルルーシュの手を離したスザクは、座っていたベッドから立ち上がる。
「――後悔は、していないよ、C.C.」
 そう思わなければ、立っていられない。前には進めない。これまで犠牲にしてきた多くの人たちに報いるためにも、立ち止まるわけにはいかなかった。
「馬鹿がっ」
 C.C.の呟きを背に受けながら、スザクは部屋から立ち去った。



 ルルーシュが眠っていた寝室から立ち去ったスザクの背を見送ったC.C.は、そっと目蓋を伏せる。それは後悔の表れか。ぎゅっと握り拳を作ったC.C.は立ち去ろうと一歩足を踏み出したとき、ベッドで静かに眠っていたルルーシュがもぞりと動いた。
「ルルーシュ……?」
 起きたのかと思いながらも、まだ眠っているときのために小さな声で呼びかければ、ぴくりと伏せられた目蓋が動く。小さな呻き声が唇からこぼれ落ちてすぐ、伏せられていた目蓋がゆるゆると持ち上がる。
「……C.C.?」
 寝起きの掠れた声で、ルルーシュはすぐ目の前に立っているC.C.の名前を呼ぶ。幼い子どものように舌足らずな呼び方に、C.C.はふっと小さな笑みをこぼした。
「なんだ、ルルーシュ?」
 起きたのかと、眠っていた我が子の頭を撫でる母親のように、C.C.は濡れたような艶やかな漆黒の髪をやさしく撫でる。
「今、お前の他に誰かいなかったか……?」
「さあ。私は知らないよ」
「そうか……」
 先ほどまでスザクが握りしめていた手のひらを、どこかぼんやりとルルーシュは見つめる。今のルルーシュは、迷子の子どものように見えた。ついさっきまで、確かに握っていたはずの母親の温もりを求めているようなルルーシュに、C.C.は目を細める。
「C.C.?」
 前髪をかき上げたC.C.は、あらわになったルルーシュの額へと口づける。
「明日も早いんだ。眠くはないかもしれないが、もう一度眠れ」
「……そうだな」
 眺めていた手のひらを握りしめたルルーシュは、こくりと素直に頷く。本当に幼い子どものようなルルーシュに、C.C.は口を開く。けれど言葉は音にはならず、再び口を閉ざした。
「…………お休み、ルルーシュ」
 良い夢をと。もう一度ルルーシュの頭を撫でたC.C.は、今度こそ部屋から立ち去った。
 ひとりになったルルーシュはベッドに横たわりながら、かすかに手のひらに残る温もりに戸惑っていた。それでもC.C.の言葉通りもう一度眠りにつこうとしたルルーシュは、シーツに残る水滴の痕に気づいて、目を瞬く。
「なぜこんなところに……」
 水をこぼした覚えはルルーシュにはなかった。しかもシーツに残る水滴の痕は少し不自然なところにある。指先で水滴の痕を確認するが、変わったところは見受けられない。わけの分からない痕跡に戸惑っていたルルーシュは、ふととある考えが頭をよぎった。
「スザク……?」
 まさかそんなと呟きながらも、ルルーシュは胸騒ぎを覚える。シーツに残る水滴は涙の痕に見えたが、スザクが泣いたとは思えず、すぐにその考えをルルーシュは捨てた。
 一度は否定して捨てたはずの考えは何度も浮かび、居ても立ってもいられなくなったルルーシュはベッドから飛び起きた。靴を履くことすら忘れて、ルルーシュは部屋から飛び出すと駆け出した。
 どこに行ったのか分からない。消えかかった温もりに、すでに自室に戻ったかもしれない。それでも本能のままに駆け出したルルーシュは、前方に見つけた後ろ姿に、すでに力尽きようとしている最後の力を振り絞る。
「スザク!」
 待てと叫べば、目を見開いたスザクが慌てて振り返る。
「ルルーシュ!?」
 一体どうしてと呟くスザクの胸に、ルルーシュは飛び込む。勢いがついたルルーシュを、スザクは難なく受け止めた。
「ルルーシュ、どうしたの?」
 息せき切ったルルーシュの顔を、スザクは覗き込む。
「スザクっ!」
 肩で息をしながら、スザクの両頬を両手でつかんだルルーシュは、ぐいっと引っ張るように顔を覗き込む。
「……やっぱりっ!」
「ル、ルルーシュ……?」
「お前、泣いただろう!」
「えっ?」
 頬にかすかに残る涙の痕に、シーツにあった水滴はスザクの涙だったことをルルーシュは確信した。戸惑っているスザクを、キッときつい眼差しでルルーシュは睨み付ける。
「なんで泣いた、スザク!?」
「君には、関係のないことだ」
 ルルーシュによって顔を固定されたスザクは、視線だけをそらす。
「俺が寝ていたベッドの上で泣いたくせに、俺は関係ないだと!?」
「……そうだよ」
 くっと息を呑みながらも、スザクは関係ないとなおも言い募る。カッと目を見開いたルルーシュは、握り拳をスザクへと振りかざす。顔をめがけて振り下ろした拳はけれど、完全に振り下ろす前にスザクに手首をつかまれた。
「離せ、スザクっ!」
「離したら君は殴るだろう」
「当然だろう、この馬鹿!」
「馬鹿って……」
「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い!」
 離せと、ルルーシュは人気のない場所とはいえ、いつ誰が通るかも分からない廊下で叫ぶ。疲れた様子でため息をついたスザクは、手首から手を離してすぐにルルーシュの華奢な躰を抱き上げた。
「うわっ!」
 突然のことに慌てたルルーシュは、目の前のスザクへと縋り付く。
「スザク、お前、何をっ」
「このような恰好で出歩くものではありませんよ、陛下」
 急に言葉遣いを変えたスザクに、首へと手を回したままルルーシュは爪を立てる。
「……っ!」
 痛みに顔をしかめたスザクは、抱き上げたルルーシュを睨み付ける。
「ルルーシュ!」
「お前が馬鹿なことを言うからだ、この馬鹿!」
「……騎士である僕が、皇帝陛下である君を敬って当然だろう」
「これが敬う行為か?」
「だって君、裸足じゃないか。皇帝陛下を裸足で歩かせなんて知られたら、ジェレミア卿に殺されるよ」
「お前がジェレミアに殺されるようなタチか」
 帝国最強の騎士だったナイトオブワンことビスマルク・ヴァルトシュタインを撃ち倒したのは、他の誰でもないスザクだ。いまやビスマルクに代わって、スザクが帝国最強の騎士の名を名乗っている。ジェレミアごとにき易々と負けるようでは、帝国最強の騎士の名は終わる。
「君のためだったなら、僕ぐらい倒すんじゃない?」
「それではお前は、ジェレミアに負けるのか?」
「まさか」
 負けるつもりはないと、スザクは肩をすくめる。ジェレミアに殺されると良いながら、負けるつもりはないというスザク。矛盾した言葉に、ルルーシュはいぶかしげに顔をしかめる。
「僕を殺すのはジェレミア卿じゃない。君だ」
「……お前を殺すのは、俺か?」
 目を瞬きながら、スザクの言葉の意味をルルーシュは反芻する。それは、この世の何よりも甘美な言葉だった。自分がスザクを殺す。それはあり得ない未来。けれど――。
「そうだよ」
 頷くスザクに、縋るように首に抱きついたルルーシュは、顔を首筋へと埋める。
「ルルーシュ……?」
「お前は俺の騎士だ」
 異母妹であるユーフェミア。そして父であったシャルルと、ふたりの騎士となったスザク。
 幼い頃からずっとスザクがほしかった。多分、出会った瞬間から。それなのに手に入れられないスザクに、どれほど絶望しただろう。それでも今は、スザクは自分の騎士だった。
「分かっているよ、ルルーシュ」
「忘れるな。絶対にっ」
「ルルーシュ……?」
「絶対にだ、スザク」
 神聖ブリタニア帝国第99代皇帝ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアのただひとりの騎士。
「……ずっと覚えているよ、ルルーシュ。忘れたりなんかしない」
 忘れないとその言葉に、ルルーシュは目蓋を伏せた。










 悪逆の限りを尽くした神聖ブリタニア帝国第99代皇帝ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアはゼロの手によって死去した。
 それはただひとりの騎士、枢木スザクの死去から数ヶ月後のことだった。










 静かな場所に建てられた名前が刻まれていない墓石の前にゼロは立っていた。
 世界が知っているルルーシュが眠っていると思われている墓石には、ルルーシュの亡骸はない。誰にも知られず、ルルーシュの亡骸はひっそりとこの場所へと埋葬された。それを知っているのはごく一握りの人間のみ。真実を知っている人間以外は、人々によって破壊の限りを尽くされた墓石の下にルルーシュが眠っていると信じている。
「もしも後悔していることがあるとしたら、それはルルーシュ、君に――」
 呟きは、ゼロ――スザクが口を閉ざして消えた。これは、ようやく静かに眠ることができたルルーシュへと告げるような言葉ではない。
「忘れてほしい、ルルーシュ」
 また来るよと、永遠の返事のない墓石へと呟きながらスザクは背を向けた。少し歩いて、スザクは一度立ち止まる。
「今でも君を愛しているよ、ルルーシュ」
 最期まで告げることのできなかった言葉。素直になって告げることができたのなら、少しは何か変わっていただろうか――。