■過ぎた幸福を、人は懐かしむ




 いつまで経ってもコクピットから降り立たないゼロに、何かあったのかと不安を抱く黒の騎士団のメンバーを、C.C.は無理矢理解散させた。最後まで居残ろうとしたカレンを何とか追い出して、C.C.はコクピットのハッチを開き、中を覗き込む。
 両の手のひらに顔を埋めながら、ぴくりとも動く様子のないルルーシュに、C.C.は先ほどの驚きを伝えた。
「まさか、あの男が白兜のパイロットだったとはな……」
 運命というものがあったとしたら、それはどんなに残酷なのだろうか。
 ブリタニアの軍人であるスザクが、いつかゼロであるルルーシュの敵に回ることは、ある程度予想していた。いつかゼロが差し伸べた手を拒否したスザクだからこその予見。
 まさかこんなにも早く、しかも意外な形でとは、流石のC.C.も考えてはいなかった。
 だからこそ驚きは大きく、ルルーシュがコクピットから降り立ってこないと聞かされたときは、C.C.は何かを考えるより先に、体が動いていた。
「……何が、言いたい?」
 感情のない小さな声が、こぼれ落ちる。
「いざというとき、今までのようにあの機体を撃ち倒す覚悟がなければ、ブリタニアは倒せないぞ」
 たった一機に時間を費やすほど、ブリタニアは小さな国ではない。世界の三分の一を支配する大国であるブリタニアを壊すためには、ナイトメア一機ごときに構っていられないことを、誰よりも身に染みて知っているのはルルーシュだ。だからこそC.C.は危機感を抱く。
「分かっている」
「いいや、分かっていない」
「分かっていると言っているだろう!」
 ようやく顔を上げ、激昂するルルーシュに、C.C.は静かに問いかける。残酷とも言える、問いかけを。
「ならば問おう。お前は、あの男を殺せるか?」
「…………っ」
「できないだろう?」
 言葉を詰まらせたルルーシュに、普段のように嘲笑うわけでもなく、C.C.は悲しげに目を細めながら、静かに訊ねる。
「……C.C.っ」
 顔を背けたルルーシュに、C.C.ははっきりと告げた。
「あの男は、私たちの敵だ」
「…………っ」
 びくりと体を震わせたルルーシュは、呆然と目を見開く。
「私が、殺してやろうか?」


「――やめろ!!」


 即座に制止に声をあげたルルーシュは、あっと小さな声をあげて動揺する。
 反応など分かりきっていたC.C.は、驚くことも、戸惑うこともなく、静かにルルーシュを見つめる。
 今ここで誰かが悪役にならなければ、遠くない未来に傷つくのはルルーシュだ。ルルーシュの全ての秘密を知っているのは、自分ただひとりだけ。だからこそ、C.C.はルルーシュに決断を迫る。
「なら、遠ざけろ。軍人を、今すぐにでもやめさせろ。できないのなら……」
「スザクに、ギアスを使えと……?」
「言葉で説得できないのなら、使うしかないだろう。それともお前に、あの男を殺せるのか?」
 ギアスを使うか、殺すか。二者択一を迫るC.C.に、これ以上ないぐらいに、ルルーシュは大きくさらに目を見開く。
「あの男はお前と同じ、いや、それ以上の重荷を背負っている。忘れさせてやるのも、あの男のためかもしれないぞ?」
 スザクにギアスは使えないルルーシュに。それ以上に、スザクを殺すことができないルルーシュに、C.C.は悪魔のささやきのごとく、甘い言葉を投げつける。
「……スザクから、記憶の全てを消せと、そう言うのか?」
 抱えきれないほどの重荷にスザクが苦しんでいることを知っているルルーシュにとってそれは、悪魔のささやきだった。愛しているのなら、忘れさせてやれと。それが彼のためだと。
 愛しているからこそ、スザクにギアスを――絶対遵守の力を使えないと言っていたルルーシュに。愛しているなら、忘れさせてやれと、C.C.は迫る。
「それが一番良い解決策だろう。あの男がこれ以上苦しむこともなくなる。記憶を消した後は、あのジジイにでも預ければ良い。あいつなら、あの男を悪いように扱わないだろう。お前が望みさえすれば」
「俺は……」
 苦しげに喘ぐルルーシュに、C.C.は残酷な選択を迫る。
「お前が取るべき道は、ふたつにひとつだけだ。どちらを選ぶのかは、お前の自由だ」
 ふたつにひとつと選択を迫りながらも、最後にルルーシュが辿る道はひとつしか残されていなかった。ギアスを使って記憶を奪おうと、その命を奪おうと、ルルーシュは永遠にスザクを失う。
「――――と、連絡を取ってほしい」
「分かった。他には?」
「……あとは、自分でやる」
 力のないその声に、残酷な選択を迫っておきながら、苦いものがこみ上げてきた。
「それで、いつ決行する?」
「あいつが、次に登校したその日に――」
 次にスザクが学園へと登校した日に、ルルーシュは永遠にスザクを失うことになる。これで、愛する人を目の前で失うのは二度目だ。
 一度目は、母であるマリアンヌを。
 そして二度目は、スザクを。
 ひとり項垂れるルルーシュを、C.C.は静かに見守り続けることしかできなかった。







 ようやく時間を見つけて学園へと登校すれば、それまでの日々とは一転していた。ただの名誉ブリタニア人から、ユーフェミアの騎士となったからには周囲から向けられる目も変わるだろうと思っていたが、想像以上の変わりように、スザクは戸惑うしかなかった。
 それでも放課後まで居残ったスザクは、生徒会の仕事を何とか片付けてから、誰にも見られないようにルルーシュの部屋へと直行した。仕事が終わってから部屋に来てほしいと、先に帰ってしまったルルーシュはいつもと変わらないように見えて、どこか普段と様子がおかしかった。長いこと学園に来られなかった間に何かあったのだろうかと、スザクは不安を抱く。
「ルルーシュ、何かあったの?」
 マオの一件もあって、スザクの不安は尽きない。
「ちょっとな。でも、もうすぐ片付く」
「そうなの? でも、何かあったらすぐに相談してね」
 いつもの厄介ごとではないことは、ルルーシュの様子からはっきりと目に取れた。それでも、もうすぐ片付くというルルーシュの言葉をスザクは信じることにした。
「スザク、俺のことが好きか?」
「当然だろう。急にどうしたの?」
 今日は、いつにも増してルルーシュらしくなかった。本当にもうすぐ片付くのかと、スザクは不安になる。ルルーシュの手に余るような厄介ごとだと言うのなら、協力は惜しむつもりはなかった。
「スザク、抱いてくれ」
 胸に縋り付きながら、怯えを隠さないルルーシュを今すぐにでも問いただしたかったが、それよりもまずは、恋人としての願いを叶えてやりたかった。ルルーシュの不安を少しでも取り除いてやりたくて。このときルルーシュを、無理矢理にでも問い詰めなかったことを、スザクが後悔する日は来なかった。



 連日の疲れと、情事の疲れもあってベッドで寝ていたスザクは、隣で寝ているルルーシュが起き上がったことに気づき、重い目蓋を何とか持ち上げる。
「う、んっ。……ルルーシュ?」
「スザク、愛してる」
 唇を重ねてきたルルーシュに瞳を閉じれば、頬に何か冷たいものが降ってきた。夢現な状態だったが、それでも何とか目を開けたスザクは、ルルーシュの瞳が濡れていることに気づく。
「……ルルーシュ、泣いてるの?」
「ああ、泣いてる」
「何があったの?」
 ルルーシュが泣くなんて、やっぱり何かあるのかと、安心させるように頬へと手を伸ばそうとすれば、それを寸前のところで遮られた。
「これから、あるんだ」
「――ルルーシュ?」
 異常を察して体を起こしたスザクの頬を両手で包み込みながら、ルルーシュはその顔を覗き込んだ。
「――全てを、忘れろ。俺のことも、軍人であったことも、父親を自らの手で殺したことも、今までの人生全てを」
 赤い鳥が、ルルーシュの瞳で舞う。ギアスを発動させながら全てを忘れろと命じれば、瞳に魅入っていたスザクは、そのままベッドへと倒れ込んだ。
 意識を失い、ベッドへと横たわっているスザクをしばらく見下ろしていたルルーシュは、くつりと喉を鳴らした。
「人の情事を盗み聞きとは、悪趣味だな」
 扉の影に身を潜めていたC.C.は、姿を見せると、ゆっくりとした足取りでルルーシュへと近づく。背中を向け、全てを拒否しているルルーシュに、C.C.はかける言葉を見つけられなかった。
「まあ良い。今からスザクを運ぶ。手伝え、C.C.」
 淡々と告げるルルーシュに、C.C.は端正な顔をくしゃりと歪める。態度にも、声にも、傷ついていることを見せないルルーシュに、だからこそ余計苦しい。ルルーシュのためにと下した判断は間違っていたのだろうかと、C.C.は後悔さえしていた。
「ルルーシュ」
「手はずは全て伝えたのか?」
「ルルーシュ!!」
 これ以上はもう見ていられないと、C.C.は悲鳴にも似た声を上げる。
「…………なんだ?」
「泣きたいのなら、泣くべきだ」
「涙はすでに枯れ果てた。今さら流す涙など、もうない」
「……そう、か」
「余計な気遣いは無用だ。それに……」
「ルルーシュ?」
「いや、なんでもない」
 かぶりを振ったルルーシュは、そっと目蓋を伏せた。


 俺が泣く場所は、スザクの腕の中だけだと決めていた。
 その腕はもう、どこにもない……――。