■帰るべき場所




「おめでとう、蘭。綺麗だよ」
 幼馴染みで、かつて誰よりも愛していた初恋の少女――いまやこの世の誰よりも美しく着飾った女性へと、新一は祝福の言葉を口にする。
「ありがとう、新一」
 嬉しそうにはにかむ蘭に、新一は眩しそうに目を細めた。
 女性にとっては一世一代の晴れ舞台である結婚式。真っ白なウエディングドレスを身にまとった蘭は、かつてないほどに綺麗だった。
 この隣を歩くのは自分だと自負していたのは昔の話ではあるが、やはり別の男――父親である毛利小五郎は別として――が隣を歩くと思うと、多少なりとも腹が立つ。今さらながらに嫁にはやらんと喚いて、妻であり、蘭の母親でもある妃英理から叱られていた小五郎の気持ちが、新一は多少なりとも理解できた。
 誰よりも幸せな花嫁になってほしい。でも、その隣を歩くのは自分ではないという事実が、今になって信じられない気持ちで一杯だった。
「旦那に泣かされたらいつでも言えよ」
「やだ。私の代わりに怒ってくれるの?」
 照れくさそうに笑う蘭に、新一はなにを当たり前のことをと言い放つ。
「当たり前だろう。俺にとってお前は、大切な長馴染みなんだから。なにかあったら、俺がお前の未来の旦那様にがつんと言ってやる」
「嬉しいけど、逆に新一がやられちゃうんじゃあ」
 蘭が夫として選んだ、本日のもうひとりの主役である新郎もまた、蘭と同じく空手を得意としている。出会ったのは空手の試合会場というのだから、ある意味運命だ。
 その強さは蘭にも引けを取らず、いくつかの大会で優勝したこともあると聞く。だからこそ蘭と意気投合したとも言えた。
 男として弱いわけではないが、格闘選手である婚約者には流石の新一も敵わないことぐらい良く理解している蘭は、心配そうに尋ねる。その気持ちは嬉しいが、新一は巻き込むことはできないと。断ろうとする蘭に、新一はにやりと笑う。
「大丈夫だ、蘭。なにせ俺の後ろには、FBIと公安がいるんだぜ?」
 無敵だろうと。いたずらっ子のように笑う新一に、目を瞬かせた蘭は半ば呆れ返る。
「呆れた。それじゃあまるで、虎の威を借る狐じゃない」
「だって仕方がねえだろう。本気を出したお前の旦那に、俺が敵うと思うか?」
「思わないけど。でも、それだったら赤井さんと降谷さんだって無理なんじゃあ……」
 組織が壊滅し、コナンから新一に戻ってしばらくしてから、蘭に対して抱いている感情は恋心ではなく、親兄弟に対するそれだと気づいた。それは蘭も同じだったらしく、ふたりっきりで話がしたいと呼び出した場所で、蘭から告白された。まさにこれから自分が言おうとしていたことと同じ内容に驚きもしたが、長年一緒にいるとこうまで似てしまうものなのかと思わず笑ってしまったものだ。
 悩んで悩んで真剣に告白したのに、笑うなんてひどいと蘭には怒られたが、まさに自分も同じことを言おうとしたのだと返せば、蘭もまた同じように驚いた後に笑い出した。こんなところまで似ちゃったねと。
 その瞬間に、互いの初恋は終わりを告げた。再び幼馴染みという関係に戻ったふたりはギクシャクすることもなく、少し仲が良すぎる友人関係に落ち着いた。
 その後新一は、蘭と別れたことを知った赤井と安室――いまは降谷に戻ったが――のふたりから猛アタックを受け、紆余曲折を経てどういうわけかふたりと付き合うことになった。ふたりとも元から憎からず思っていたとはいえ、犬猿の仲であるふたりと付き合えるとは思っていなかっただけに、告白を受けたときは心臓がとまるかと本気で思ったほどだ。
 同性と、それも一回り以上年が離れた相手で、かつふたりと付き合うことに対する葛藤がなかったわけではないが、あのふたりが自分以外の誰かと付き合うと考えただけで気が狂いそうになった。あのふたりを手放すことを考えれば、同性だとか年が一回り以上違うとか、ふたり同時に付き合うことなどどうでも良くなった。
 とはいえ、流石に周囲へと大っぴらに話せるようなことでもなく、ましてや蘭に対しても言える内容ではなく、しばらくの間恋人ができたことさえ新一は内緒にしていた。ちょっとした事故により男性と、それもふたりと付き合っていることを知られたときには、仕方なく全て蘭に打ち明けた。
 幼馴染みという関係もこれで終わりかとも思ったが、案外あっさりと受け入れたかと思えば、いつかその相手を紹介してねと剛胆にも蘭は言い放った。多少迷ったものの、ふたりの承諾を得て蘭へと改めて紹介したときに一波乱あったが、これはもう思い出したくもない。このときに安室――降谷の正体や、赤井のことは蘭に知られていた。
「あのふたり、見た目以上に鍛えてるんだぜ。それに零さんの趣味はボクシングで、以前犯人をパンチ一発で気絶させてた」
「うそっ」
 にっこりと笑えば、さらに幼さに磨きがかかる降谷は一見すれば、軟弱な男にしか見えない。そういえば立ち振る舞いに一切の隙がなかったなと思い出した蘭は、改めて人は見た目で判断してはいけないのだと思い知る。
「嘘ついてどうするんだよ。だからまあ、旦那に泣かされても安心して相談しろ。俺に代わって、どっちかが旦那を泣かせてやるから」
「なにそれ」
 くすくすと楽しげに笑う蘭に、新一は微笑む。
「好きだったよ、蘭」
「新一……」
 改めての告白に、笑っていた蘭は真顔になる。
 今さら過ぎるかもしれないが、確かにひとりの女性として愛していた。それ以上に愛する人を、それもふたりも見つけてしまった自分には言える資格はもうないかもしれないが、今を逃せばもう二度と言えない気がして、気づけば新一は思わず告白していた。
「私も、好きだったよ、新一。でも、今は未来の旦那様が一番好き。でもね、新一のことは二番目に好きだよ」
 今さらだと怒るか、詰られるか。半ば覚悟を決めていた新一は、穏やかに微笑む蘭に虚を突かれる。
「俺の一番と二番は秀一さんと零さんだけど、女性では蘭、お前が一番好きだぜ」
「嬉しい」
 一番目と二番目は埋まってしまっているけれど、女性としては変わらず一番だと。嘘偽りのない告白に、蘭は嬉しそうに喜ぶ。
「幸せになれよ、蘭」
 幸せにしてやることはできなかったけれど。その代わり、幸せになってくれと。願いを込めて新一は言った。
「当たり前じゃない。誰よりも幸せな花嫁になるために結婚するんだから」
「ああ、そうだな」
「新一も。幸せになってね」
「当たり前だろう。俺にはFBIと公安っていう最強タッグがいるんだぜ」
 色々と誤解は解けたはずなのに、いまだ最強に仲が悪いふたりは、手を組めばこれまた最強に強い組み合わせでもあった。色々と心配なことはあるけれど、これ以上ない心強い味方でもある。
「ふたりと結婚するときには教えてね。真っ先にお祝いしてあげる」
「それは嬉しいが、無理じゃねえか?」
 もしもふたりと結婚するときがくるとすれば真っ先に報告するつもりはあるが、まずそれ事態が難しい。
「ふたりと結婚しないの?」
 同性という問題があるにしても、結婚はできるだろうと首を傾げる蘭に、それ以前の問題だと新一は返す。
「いや。同性とかの前に、重婚になるだろうが」
 国内ではそもそも同性同士では結婚はできない。赤井が籍を置くアメリカならともかく、公安警察官である降谷はアメリカへと戸籍を移せるはずもない。それでなくとも一対一の付き合いではない段階で、結婚という手段は少々どころか非常に厳しかった。
「そっか。大変ね」
「ああ。色々と大変なんだよ」
 それでも、あのふたりを手放すことを考えれば、全く苦でもなかった。
「さて。そろそろ戻るかな」
「もう行っちゃうの?」
 式までまだ多少時間があるのにと頬を膨らませる蘭に、新一はその頬をつつく。
「流石に花嫁の控え室に、花婿でも親兄弟でもない男が居座ったらまずいだろう」
「でも、新一だよ?」
「俺も一応、男なんだよ。園子を呼んできてやるから、それで我慢しろ」
 気を利かせて今は席を外しているもうひとりの幼馴染みで、親友の名前を口にすれば、蘭は大人しく頷いた。
「新一」
「なんだよ」
「途中で帰っちゃ駄目だからね」
 気づけばふらりといなくなってしまう幼馴染みに、蘭は改めて釘を刺しておくことを忘れない。
「わーってるよ。あとで、またな」
 ひらひらと手を振りながら花嫁の控え室を出た新一は、ひとまずどこかに行ってしまった園子の姿を探しに行った。







 途中思わず涙ぐんでしまったが、珍しくなんのトラブルもなく結婚式は無事に終わった。蘭と園子から二次会への誘いもあったが、それを断って帰路につこうとした新一は、会場だったホテルから一歩外に出た瞬間に呆れ返った。
「なにしてるんですか、ふたりとも」
 家で待っていてくださいねと。確かにそう言って出てきたはずだ。それなのにホテルの出入り口で待ちかまえるようにしてふたりの恋人はたたずんでいた。
「ボウヤの帰りを待っていた」
「君が帰ってきてくれるか心配で、つい」
 言い訳を口にするふたりに、新一はため息をつく。
「ちゃんと帰りますよ。子どもじゃないんだから」
 ふたりの中での自分はどんなイメージなのか。すでにコナンのときよりも新一としての付き合いが長いが、コナンだった頃は今思い返してみても色濃い日々だった。そう考えるとふたりの中にコナンのイメージがまだ残っていたとしても仕方がないとはいえ、いい加減にしてほしいと怒鳴りたくもなる。
「けど、君は以前、蘭さんのことが好きだっただろう。だから……」
 不安を口にする降谷に、赤井も同感だと頷く。
 普段は険悪な仲だというのに、こういうときばかりは仲が良いのはどうしてなのか。そう言えば、ふたり揃って全力で否定してくるのだから本当に質が悪い。
「確かに蘭のことは好きでしたけど、俺が選んだのは秀一さんと零さんですよ。もっとちゃんと自信を持ってください!」
 普段は呆れるぐらいの自信家だというのに、こと自分に関することだけは自信が消失するふたりに、新一は怒鳴りつけるようにして叱りつける。
「ボウヤ」
「新一君」
「好きですよ、秀一さん、零さん。だから、俺たちの家に帰りましょう」
 困った大人たちだと。そう思いながらも、自分たちの家に帰ろうと誘えば、ふたりから揃って抱きしめられた。
「ああ、帰ろう」
「赤井の後というのが気にくわないが、同感だ。俺たちの家に帰ろう、新一君」
 本当に困った大人たちだ。そう思いながらも、抱きしめる腕の温もりに新一はそっと目蓋を伏せた。
「はい」