■厄介な男たちに好かれる名探偵




「あれ、コナン君?」
「安室の兄ちゃん」
 修理に出していたスケボーを阿笠博士からようやく受け取った帰り道、声を掛けられたコナンは見知った相手に立ち止まると、こてりと小首を傾げた。
「ポアロのバイトの帰り?」
 毛利探偵事務所まではあともう少しの距離。その1階にポアロは店を構えている。
 ポアロのバイト兼名探偵である毛利小五郎の助手ではあるが、生憎と毛利は出玉調査と銘打って朝からパチンコ屋に行っていたはずだ。急な依頼が舞い込んで戻ってきているとは考えづらく、行き着く答えはポアロのバイト帰りしか思い浮かばない。
「まあね。そういう君は阿笠博士の家からの帰りかな?」
「どうして分かったの?」
 元太たちと遊んだ帰りかもしれないのに、迷うことなく言い当てた安室にコナンはきょとりと目を瞬かせる。
「それはね、出かけるときは君が持っていなかったそのスケボーを今は持っているからかな」
 修理から戻ってきたばかりのスケボーへと視線を向けた安室に、なるほどとコナンは頷く。
 出かけるときには持っていなかったスケボーを、帰ってきたときには持っていたとなれば答えは自ずと限られてくる。阿笠博士のことを詳しく話したことはなかったが、探偵顔負け――その正体は公安警察ではあるが――の調査能力から、MI6も顔負けの発明品を作っていることはすでに知られている。
 出かけるときにはポアロに安室の姿はなかった。一体どこで出かけたときの姿を目撃されたのかという疑問は残るが、ポアロに来る途中で見られていたのだろうとコナンは深く考えなかった。
「それも阿笠博士の発明品かい?」
「まあ、そんなところかな」
 曖昧に笑いながら、コナンははぐらかす。
 先日東都水族館で起こった事件では協力関係にあったとはいえ、隙を見せようとすれば赤井を噛み殺そうとするその獰猛な牙が些細な切っ掛けで自分に向けられないとも限らない。敵ではないとはいえ味方でもない安室に、万が一のことを考えれば手の内を全て見せるのはあまりにも危険だった。
「……安室さん?」
 急に黙り込んだかと思えば、ジッと見つめてくる安室に、コナンは居心地悪げに身動ぐ。
「安室さん、どうかしたの?」
「あ、ああ。なんでもないよ」
 ふと我に返った安室は、誤魔化すように苦笑した。
「寄り道せずに帰るんだよ、コナン君」
 寄り道するにしても毛利探偵事務所は目と鼻の先だ。子どもの足でも5分とかからず帰れるというのに、おかしなことを言うものだと思いながらも、くしゃりと頭を撫でてきた手に、コナンは首をすくめながらも大人しく頷く。
 この姿になってからというもの、頭を撫でられる機会が増えた。幼少期の頃も良く撫でられていたが、昔に比べてその機会が多い気がするのは多分気のせいではないはずだ。最初の頃は反発もあったが、いい加減慣れた今では大人しく撫でられている。なにより、大きな手に撫でられるのは案外と悪くない。
「またね、安室さん」
「ああ、またね、コナン君」
 バイバイと手を振ったコナンは、安室へと背を向けて駆けだした。毛利探偵事務所への最短ルートでもある路地へと入って抜けようとしたコナンは、そっと背後から近寄ってきた気配に足をとめる。一体誰だと振り返ろうとするより早く後頭部にコツリと硬いものが当てられた。
「動くな」
 落ち着いた低い声が短く命じる。
 動くなと命じられる前に、後頭部に当てられたものが想像通りのものならば、そもそも身動きなど取れるはずがない。抵抗するにも背後を取られ、何より反撃する手段を持っていない。一瞬の隙をつければ腕時計麻酔銃で眠らせたり、キック力増強シューズで近くに落ちている缶を蹴飛ばして気を失わせることもできるだろうが、背後から感じる気配がそんなものを簡単に許してくれそうな気配はなかった。
 一体誰だ。そもそもの目的はなんなのか。営利目的の誘拐にしては、周囲に人気はなく人目がないとはいえ場所が悪い。路地を出てしまえば、人目があるこんな場所で誘拐などすれば、声を出してしまえば一発でばれてしまう。まさか黒の組織に正体がばれてしまったのかと持ち前の頭脳をフル回転させながら、考え得る限りの答えをコナンは導き出す。
 ひとまずはこの最悪な状況から抜け出さなければとゴクリと息を呑み込めば、くつりと背後から楽しげな笑い声が漏れた。

「びっくりした、名探偵?」

 愉快だと言いたげな明るい声が頭上から降ってくると同時に、後頭部に当てられていた硬いものが離れた。慌てて距離を取りながら振り返れば、帽子を目深に被った少年とも青年ともつかない男が立っていた。
「お前、キッド!」
「大正解」
 目に見える口元がにやりと笑う。
「なんでお前がここにいる!? ってか、さっきのはなんだよ!」
 怒りをあらわにするコナンに、だってよおとキッドは唇を尖らせた。
「ちょっと怪盗業をお休みしていたかと思ったら、名探偵ったらとんでもない事件に首突っ込んでるし。これは招待状を渡しても来てくれないかなって、ちょっと様子見をしに来たらお出かけから戻ってきた名探偵がいたもんだからつい」
「ついで脅かすな!」
「わりい、わりい」
 軽く謝るキッドに、コナンは目を釣り上げる。
「それより名探偵」
「あ゛!?」
「柄悪いよ」
「誰のせいだと思ってやがる!!」
「ごめん、ごめん、俺のせいだね」
 肩をすくめたキッドは、鋭い視線をコナンへと向けた。
「名探偵はいつの間に、あのこわーいお兄さんと仲良くなったわけ?」
 声こそは明るいが不穏な空気を漂わせるキッドに、コナンは気まずそうに視線をさまよわせる。
 ベルツリー急行で半ば脅すようにキッドに灰原――宮野志保の変装をしてもらったのは、つい先日のことだ。そのせいで安室透という男がコナンと敵対関係にあるということもキッドには知られている。それなのに親しげに話し合っている姿を目撃されれば、キッドでなくても不審に思うのは当然のことだ。
「あのなキッド」
「この前命がけで協力したんだから、誤魔化すのはなしな」
「…………」
 思わず黙り込んでしまったコナンに、キッドは呆れた目を向ける。
「誤魔化す気だったの、名探偵」
「あー、詳しいことは言えないけど、あの人は敵だけど敵じゃない」
「味方ってこと?」
「味方だけど、味方でもない」
「なにそれ」
「こっちにも色々事情ってもんがあるんだよ!」
 意味が分からないと言うキッドに、コナンは八つ当たり気味に苛立ちをぶつける。
「つまり、あのお兄さんは今のところ大丈夫ってこと?」
「まあ、そんな感じだ」
「ならいいけどよ」
 カリカリと後頭部をかきながら深々とため息をついたキッドの姿に、コナンは何度か目を瞬かせる。
「キッド」
「なに?」
「もしかして心配してくれたのか?」
「当たり前だろう。名探偵にもしものことが目覚めが悪いし、何より楽しみが半減しちまう」
 その楽しみがどういう意味でなのか多少問いただしたい気持ちもあったが、心配をかけてしまっていたことに申し訳なさが先立つ。何より、心配してくれたという事実が妙にくすぐったかった。
「わりいな」
「そう思うなら、もう少し大人しくしていてくれるとありがたいんだけど」
「それは無理」
 間髪入れずにばっさりとコナンは断言する。
「名探偵……」
 もう少し悩む素振りを見せようよと言わんばかりにため息をついたキッドは、慌ててコナンを背に庇うように振り返った。
「キッ――」
 いきなりなんだと驚いたコナンは、キッドの視線の先にいた相手の姿に驚きで目を見開く。
「安室さん!?」
 さっき別れたばかりの安室の姿に、どうしてここにとコナンは本気で驚く。
「コナン君から離れろ」
 静かに命じながら、今すぐにでも獲物に襲いかかろうとする獰猛な獣のような目で得体の知れない男――キッドを、安室は睨み付ける。
 いまいち状況を把握できずに目を白黒させるコナンとは違い、鋭い眼差しを正面から受け止めたキッドはにやりと笑う。
「嫌だって、言ったら?」
 挑発するかのように告げれば、安室は目を細める。その目の鋭さにぶるりと体を震わせながら、キッドはさらに笑みを深めた。
「どこの誰かは知らないが、排除する」
 本気の安室に、コナンは慌てて制止の声を上げる。
「安室さん待って!」
「コナン君、どうしてその男を庇うんだっ!」
「どうしてって……っ」
 その前にどうして安室がキッドに対して敵意を向けているのかがコナンは知りたかった。帽子を目深に被り、幼い子どもに声を掛けたキッドは誰の目から見ても不審者にしか見えない。警戒するのも頷けるが、普段はもっとスマートな行動をする安室の暴走に、コナンは本気で戸惑っていた。
「もしかして、その男に脅されているのかい?」
 顔面を蒼白にさせたかと思えば、安室は思いっきりキッドを睨み付ける。思わず竦み上がったキッドは、無実だと即座に首を横へと振った。
「はあ?」
 何がどうしたらそういう結論にたどり着くのか。小一時間聞いてみたかったが、嫌な予感しかしないと、やはり聞きたくないという結論にコナンは即座に達した。
「安室さん、こいつは――」
「コナン君?」
 怪しそうに見えるけど、怪しい奴じゃないと説明しようとすれば、まるで図ったかのように邪魔が入った。聞き覚えのある声に思わずコナンが振り返れば、路地の入り口――コナンが出ようとした先に、よくよく見知った沖矢昴が立っていた。
「昴さん!」
 どうしてここにとコナンが驚くのも無理はない。なにせ目と鼻の先にあるのは毛利探偵事務所だ。普段は昴の活動範囲の外であるこの場所にどうしているのだと驚くコナンに、昴は手に持っているものを見せた。
「これ、阿笠博士の家に忘れたでしょう?」
 差し出されたのは探偵団バッチだった。
「あれ?」
 慌ててパタパタとポケットを探ってみれば、あるべきはずの探偵団バッチはどこにもなかった。そう言えば阿笠博士の家で探偵団バッチを出したまま、持って帰るのを忘れていたとコナンはようやく思い出す。
「わざわざ届けてくれたの?」
「買い忘れたものがあったのでそのついでですよ。ところで、コナン君」
「うん?」
「こんなところで何をしているんですか?」
 言われて、今の状況をうっかり忘れていたコナンは思い出した。
「あっ」
「しっかり、名探偵」
 安室と昴のふたりには聞こえないぐらい小さな声でキッドは声を掛ける。
「うるせえ」
 小声で言い返しながら、コナンはこっそりと安室の様子を窺う。
 昴の登場で冷静になったのか、傍目から見れば落ち着きを取り戻した安室はけれど、警戒を全く解いていない。むしろ昴に対しても警戒しているその様子に、いまだ昴イコール赤井という疑惑が完全に解かれていないことが分かる。
「えっと……」
 何をどう説明すれば良いのか。安室も昴も警戒しているのは自分に対してではなく、明らかに不審者といった出で立ちのキッドに対してだ。前門の虎、後門の狼という言葉がふと浮かんだコナンは、我が身かわいさにキッドをふたりへと突き出す案も考えたが、色々と助けてもらった身としては、ここでキッドを助けないわけにもいかなかった。めんどくさいなと思いながらも、コナンはその頭脳をフル回転させる。
「あのね、安室さん、この人は前に僕を助けてくれた人で!」
 怪しい人じゃないよとコナンは力説するが、幼い子どもに庇われるその姿が怪しさをさらに増す。
 コナンの言い分を疑うわけではないがと、その怪しさに二対の目が探るようにキッドへと向けられる。
「それならどうして、こんな人気のない場所でこそこそとコナン君に声をかけたりしたんです?」
 知り合いならこんな人気がないところではなく、堂々と人目がある場所で声を掛けるべきだと安室は主張する。正論だと思わず頷きそうになったコナンは、慌ててそれはと言い訳を考える。
「だからですよ。小さい子どもがあまり人気のない路地は歩くものではないと注意しておこうかと思いまして。近頃は危ない事件も増えてきてますからね。ほら、先日の東都水族館で起こった事件とか、いまだに真相が分かっていないそうじゃないですか」
 スッと差し出した片手でコナンを制したキッドは、落ち着いた声音で安室の疑惑をあっさりと交わす。
 東都水族館と、その単語にわずかに安室が反応したをキッドは見逃さなかった。何のことだというように、昴は不思議そうにするだけだったで、何の反応もしなかった。
「少し目を話した隙に無茶をする子ですからね。意味はないかもしれませんが、一応注意はしておこうかと」
「そう、ですね」
 それに関しては同意だと頷いた安室に、スッとキッドはコナンへと目を向ける。安室と昴に対する警戒は向けたまま。
「コナン君、もう少し大人しくしてくださいね」
「はーい」
 良い子のコナンは、渋々と言った様子を隠すことなく良い子の返事をしておく。キッドにしか聞こえない小さな声で、気色わりいと呟くことを忘れずに。
 先ほどのあの挑発はなんだったのかと、帽子を目深に被っている理由など、言いたいことや聞きたいことがたくさんあった安室だったが、昴という存在を前にしてひとまずは呑み込むことにした。
「それでは私はこれで」
 軽く頭を下げたキッドは、昴の隣を通ってその場から立ち去った。その背中が見えなくなってようやく、コナンは肩の荷が下りたと安堵する。
「えっと、安室さん、昴さん、僕も行くね」
 このふたりを残していくことに心配はあったが、妙な居心地の悪さから早く抜け出したかったコナンは、いい大人なんだからどうにかなるだろうと戦線離脱を告げる。
「コナン君」
 駆け出そうと一歩踏み出したコナンに、昴が待ったを掛けるかのように声をかける。
「忘れ物ですよ」
 くすりと笑いながら探偵団バッチを差し出した昴に、あっと小さな声を出したコナンは赤面する。
「ありがとう、昴さん」
「どういたしまして」
 にっこりと笑いながら手を伸ばしてきたコナンへと、忘れ物の探偵団バッチを昴は手渡す。
「先ほどの彼も言っていましたが、近頃は物騒ですから。近道だからと言って、人気のない路地に入るのはあまり関心しませんよ」
「今度からは気をつけるね」
「周囲の人のためにも、そうしてください。君は本当に無茶ばかりしますから」
「はーい」
 何を指し示しているのか気づかない振りをしながら、コナンは元気よく返事をする。ふたりへとバイバイと手を振ったコナンは、今度は呼び止められることなく一本道を走りながら毛利探偵事務所へと帰った。
 その背中が毛利探偵事務所が入っている建物へと入ったことを最後まで確認した安室と昴のふたりは、ようやく目を合わせる。
「先日いらした宅配業者の方ですよね。コナン君のお知り合いだったんですね」
「ええ、まあ。彼が住んでいる毛利探偵事務所の1階にあるポアロでバイトと、毛利探偵の助手もしているので自然と」
「宅配のお仕事に、喫茶店のバイトと名探偵の助手とは、体が持たないんじゃ?」
「宅配の仕事は臨時のバイトです。普段は探偵業がメインですよ」
「なるほど。色んなお顔をお持ちなんですね」
「あなたほどではありませんよ」
「何のことでしょうか?」
 探るように返した安室に、昴は何のことだと戸惑う。不自然ではないその態度に、忘れてくださいと言った安室は、軽くため息をついた。
「僕もこれで」
「ええ、またいずれ」
 コナンを介して、いずれまた会う機会はあるだろうと。暗に込めた言葉のニュアンスを正確に読み取った安室は、険しい目を昴へと向ける。ぴくりとも変わらない表情に、これ以上踏み込んでも無駄だと悟った安室もまた昴へと背を向けた。
 ただひとり、その場に残された昴は安室が去っていった方向とは真逆――キッドが消えた方向へとちらりと視線を向ける。しばらくの間じっと見つめていた昴だったが、ふと笑ったかと思えばずり落ちた眼鏡を指先で押し上げた。
「本当に困ったボウヤだ」
 低く、ささやくように。ぽつりと零した昴は、根城にしている工藤家へと戻るべく踵を返した。










「まったく」
 目深に被った帽子を上げながら、キッドはため息混じりに吐き出す。
 コナンが昴と呼んでいたあの男は、ベルツリー急行で対峙したあの男――安室以上にくせ者だった。一体何者なのか。工藤家に居候していることもあって以前軽く探ってみたこともあったが、詳しいことはなにひとつとして掴めなかった。
 沖矢昴27歳。東都大学の大学院工学部に在籍する院生で左利き。バーボンを好んで飲んでいるということ。分かったのはその程度の情報だ。それ以上はなにも悟らせなかったあの男がどうしてコナンの傍にいるのか。
 警戒するどころか、むしろ共犯者である灰原哀の護衛を任せている節から協力関係にあるのは疑う余地はない。安室とは違い味方なのだろうが、自分へと向けてきたあの鋭い眼差しはハンターのものだ。いつでも獲物を狙い殺すことができるのに、あえて遊ばせておくほどの腕前。怪盗という立場にあるキッドとしては二度と近づきたくない相手だ。
「本当、厄介な相手にばかり好かれるぜ」
 安室にしても、昴という男にしても。本当に厄介な相手ばかりに好かれている気がする。
 コナンが無事に帰宅する姿を念のため見送ってから帰ろうと、姿を眩ましてその様子を窺っていたというのに、どうやら昴にはばっちり気づかれていたようだ。鷹の目のように鋭い眼差しで見つけられたときには、本気でびびった。逃げ出すように立ち去ったが、あの目を思い出すだけでぶるりと体が震える。本当にあの男は何者なのか。
 コナンが信用しているならば深く調べる真似をするつもりはないが、警戒は怠らない方が良いかもしれない。それでなくても、少し目を話している隙に怪我を負っているコナンのことだ。今度は何に巻き込まれるとも限らない。
「困った名探偵だ」
 それでも嫌だと思わない自分にも、困ったものだと笑いながらキッドは自宅へと帰った。