烙印の絆  エピローグ



 闇が支配する静寂の中、刹那は月を見上げる。
 少し離れた場所では、携帯端末を使って何も見なくとも同じ台詞を言えるぐらいに見飽きた声明発表をロックオンは見ていた。
「始めちまったぞ」
 長い、長い時間をかけてようやく。
 動き出した計画は、まだ序章の始まり。
「もう、誰にも止められない」
 顔を上げたロックオンは、携帯端末を閉じた。
 ソレスタルビーイングに身を置く者なら、今さら見なくとも誰もが内容を記憶している。
 今さら見ずとも、支障はない。
「俺たちは世界に喧嘩を売ったんだ。これからどうなるかなんて、誰にも分からない。それでも、覚悟はできているか、刹那」
「覚悟は、すでにしている」
 そう、全世界に対して銃を向けた今、敵は世界そのものとなった。
 世界のどこにも、最早逃げる場所はない。
「それに、どんな結末を迎えることになったとしても、あんたと一緒なら耐えられる」
 世界から追われ、逃げる日々だとしても。
 共にいられるのなら、それで良いと。
 微笑みながら告げる刹那に、釣られたようにロックオンも微笑む。
「全く、お前は……」
 歪んだ世界を正す。
 その思いは、今も変わらない。
 だからこそ、何があろうと、何が起ころうと、逃げ出すつもりはない。
 けれどそれは、傍らにロックオンがいて始めて成り立つこと。
「俺もお前が傍にいてくれるなら、それで幸せだ、ソラン」
 そっと頬に伸びてくる手を刹那は目蓋を伏せながら受け入れる。
 この歪みきった世界を正すために。
 世界から憎まれ、追われることになろうとも。
 それで世界が変わってくれるなら。
 傍らに互いさえいてくれれば、何だって耐えられるから。
 ことりとロックオンの胸に顔を埋めながら、動き始めた世界に思いを馳せる。
 悪意に満ちたこの世界に、どうして誰も気がつかない。
 それとも、気づいているのに見て見ぬふりをしているのだろうか。
 息苦しいほどに歪みきった世界に、それではいけないのだと、なぜ誰も思わないのか。
 世界は冷徹すぎるほどに残酷で、凍えそうなほどに凍てついているのに。
「ソラン……?」
 ぴくりとも動かずにいれば、眠ったのかと囁くように訊ねられた。
 それに、眠っていないと、微笑を浮かべながら刹那は答える。
「あんたに出会えて本当に良かったと、そう思っていたんだ」
「俺に殺されかけたことがあるのにか……?」
「それでもだ。それでも、あんたに出会えて、俺はずっと忘れていた人の温もりを思い出せた」
 何もかも忘れていた。
 人の温もりを。
 優しさを。
 そして、知った。
 誰かを愛するという気持ちを。
「俺は、両親を、見知らぬ罪のない人たちをたくさん殺してきた。誰が赦してくれたとしても、俺の罪は決して消えたりしない。それがずっと辛くて、苦しかった。でも、今は――」
 多くの罪のない人たちを殺してきた。
 そこにどんな理由があろうとも、決して赦されるべきことではない。
 それがずっと辛くて、苦しくて。
「おかしな奴だと笑うかもしれない。けど、この罪が俺をあんたへと出会わせてくれた。だから俺は、あんたと出会わせてくれたこの罪が愛おしい」
 犯した罪を忘れたわけではない。
 今まで殺してきた多くの人たちに対して、罪悪感が消えてなくなったわけではない。
 申し訳なさで一杯になりながらも、それでもこの罪が愛おしいと。
 そう告げれば、くしゃりと頭を撫でられる。
「笑わないさ、ソラン。それは俺も同じだ」
 対極の立場にあったはずのふたり。
 憎み。
 憎まれ。
 決して混じり合うことがなかったはずなのに。
 必然か。
 偶然か。
 それとも、運命だったのか。
 ふたつの道は混じり合う。
 それが運命だったのだと言うように。
「今でも、俺の家族を奪った奴らが、テロが憎い。この憎しみは多分この先も消えたりしない。でもな、何でか、ほんの少しだけ感謝しているんだ」
 お前に出会わせてくれたからと。
 優しく抱きしめてくれるロックオンに、刹那はそっと目蓋を伏せる。
 一時の夢ではないかと疑った幸福。
 最初の頃は罠かもしれないという疑惑に日々怯えていたけれど、一ヶ月経っても、一年経っても、その様子は全く見られなくて。
 変わらずに愛を囁きかけ、優しい目で見つめてくるロックオンに、これは罠でも、夢でもないのだと。
 ようやく気がついたときに泣いてしまったとき、馬鹿だなとロックオンに笑われた記憶は新しい。
「――愛してる、ニール」
 愛してくれてありがとうと。
 そっと胸中で呟きながら、刹那はロックオンへと愛を告げた。






























 決して赦されない罪を犯した。
 苦しくて。
 辛くて。
 悲しくて。
 何度も何度も、過去に戻りたいと。
 何を引き替えにしようと。
 何を失うことになったとしても。
 それで過去に戻り、罪を消すことができるならと。
 そう望んだけれど――。



 何を犠牲にしても、失いたくないと。
 強く、強く思った絆。
 けれどそれは、罪が引き合わせたものだった。
 だから、もう望まない。
 過去に戻りたいと。
 望むのは、止めた。






























「俺も、愛してる、ソラン」






fin.