■煙草の味




 ケルディムガンダムのコクピットのコンソールへとぐったりと頭を預けながら、ライルはひとり長いため息をつく。
 ソレスタルビーイングの一員となってから一ヶ月。任務を遂行するのと平行して、ライルはティエリアから様々な指導を受けていた。駄目生徒と揶揄されるほどに厳しいティエリアの指導はまさにスパルタ。それまで叱られた経験を足しても、ここまで辛くはなかったはずだ。
 任務がない日は戦闘シミュレーションをティエリアが納得するまで繰り返し行ったあと、辛辣な言葉で駄目出しを受ける。それこそ凹んで立ち直れないぐらいに。
 最初の頃こそ本当に立ち直れなかったが、ほぼ毎日繰り返される指導に、今では次の日には立ち直れるぐらいにはしぶとくなった。いまだに駄目出しを受けた直後はしばらく凹んではいるが。
[ロックオン、ロックオン、大丈夫? 大丈夫?]
 耳をパタパタと動かしながら訊ねるハロに、のろのろと顔を上げたライルは苦笑しながらポンッと丸い球体を軽く叩く。
「平気だ。ありがとうな、ハロ」
 心配してくれるハロへと感謝の気持ちを告げながら、もう少し優しくしてくれないものかと、冷ややかなティエリアの表情を思い出す。初めて刹那を通じて紹介された時に浮かべた動揺した顔が嘘のように、人間味がどこか欠けているティエリア。
 けれどライルは知っている。自分以外に対しては、あの冷たい表情がほんの少しだけ和らぐことを。
「嫌われてるのかねぇ。――それにしても」
 最終的には自分の意思でソレスタルビーイングの一員になることを選んだとはいえ、自分をここへと連れてきた張本人たる刹那は今頃何をしているのだろうか。指導を全てティエリアへと任せ、その後はほぼ放置して。
 00のメンテナンスが不完全で忙しいのは分かっているが、少しぐらい気にかけてほしい。ここに連れてきた責任を取れと言っているわけではなく、せめて二、三日に一度ぐらいは様子を見に来るぐらいには。
「なあ、ハロ。刹那と兄さんってどんな関係だったんだ?」
 誰もが錯覚する。自分を兄であるニールと。すぐに思い出してライルとして接するけれど、気分が良いものではない。
 そんな中、ただひとりだけライルとして接する刹那。いまだ艦内にいる大半から子ども扱いされてはいるけれど、刹那は誰よりも達観している。そんな刹那が亡くなった兄とどういう関係だったのか、ライルは妙に気になっていた。
[ロックオン、刹那好キ。刹那、最初ロックオン嫌イ。ロックオン、頑張ッテ、刹那餌付ケシタ]
「あー、兄さんが考えそうなことだな」
 世話好きだった兄が刹那を気にかけていたことに思わず納得してしまう。刹那は人付き合いが上手いとは言えない。むしろ苦手に思っている節がある。それこそ兄であるニールが構いたくなるタイプだ。
 まだ短い付き合いで、詳しく知っているわけではないが、ライルが知っている刹那は餌付けで懐くタイプではない。むしろそう言ったものを鬱陶しく思うタイプだと思っていた。
[餌付ケ駄目。デモ、刹那、ロックオン好キ。二人、恋人]
「はぁ!?」
 いきなり結論を告げたハロに、どういうことなのかとライルは目を剥く。
 餌付けが失敗したのは予想していた通りだったが、どういう経緯でふたりは恋人同士になったのか。そもそもライルが知っている兄・ニールは過去に女性相手に浮き名を流していた。その中に同性である男が含まれていた話は一度も聞いたことがない。
 自分が知らないだけで、もしかして刹那は女なのだろうか。だがライルが知っている刹那はどこからどう見ても女性には見えない。――間違いなく男だ。
「ハロ、刹那って男だよな……?」
[刹那、男!]
 もしかしたら刹那は女性だったのかとハロへと訊ねてみたが答えは想像通りのものだった。過去に女性相手に浮き名を流していた兄が、どういう経緯で同性である刹那と恋人になったのかどうしようもなく気になる。そして刹那もまた、どうして兄と付き合おうなどと思ったのかも。
 気になることが増えてしまったが、ひとつだけ分かったことがある。
 誰もが自分と兄を錯覚する中、刹那だけがどうして錯覚しないのか。答えはあまりにも簡単だった。
 愛していたから。どれほど似ていても、ライルは刹那が愛したロックオン ニールではない。だから刹那はライルをニールとは錯覚しない。
「なーんだ、そんなことか」
 ずっと心に引っかかっていた疑問。それがようやく解けたのに、ライルの心は晴れない。
「趣味は違ったはずなのに」
 両親ですら度々間違えるほどに自分たち兄弟は外見に関してはとても似ていた。ただ、好みだけは全く違った。お互いに不思議に思うほど好きになるものが重なったことは一度もない。好きになる女の子すらも、一度としても重なったことはなかった。だから安心していたのに。
「さーて、どうしようか」
「――何がだ?」
 格納庫には自分以外に誰もいないと思っていたからこその呟き。まさかそれを聞かれていたとは思ってもいなかったライルは、慌てて顔を上げる。
「刹那……」
「今日の訓練はまだ終わっていないのか?」
 コクピットを覗きこみながら刹那は訊ねる。
 いつの間に格納庫に来ていたのか。気配すら感じさせずにコクピットまで近づいていた刹那に、ライルは舌を巻く。
「いや、終わったけど……」
 芳しくない結果にディエリアからボロクソ言われて落ち込んでいたとは流石に言えずに、ライルは口ごもる。首を傾げる刹那に、ライルは別の話題へと切り替えた。
「それより刹那、00は今日はもう良いのか?」
「ああ。今日の分の調整は終わった」
 いつもより早く終わった00の調整に、こんなにも早い時間に刹那が姿を見せたことに納得する。
 いつだって刹那の最優先事項は00だ。機械に嫉妬するなんて馬鹿げたことだと分かっているのに、少しだけ00に嫉妬してしまう。
「ティエリアに苛められたか?」
 ティエリアがライルを鬼教官のごとく厳しく指導している話はトレミーで知らない者はいない。苦笑しながら刹那はそのことを揶揄する。
「人事だと思って」
 拗ねてみせれば、そうでもないぞと刹那は笑った。
「えっ?」
「お前がティエリアに怒られる度に、俺に八つ当たりがくる。ド素人などどうして連れてきたんだと」
 空席になったガンダムマイスターの席を埋めなければならなかったとはいえ、他に候補がいなかったわけではない。いくらでも候補はいたというのに、あえてライルを選んだのは刹那のわがままだった。
 ライフルの扱いには長けているとはいえ、MSについては素人に毛が生えた程度だ。高度な技術を必要とするガンダムを完璧に操縦するには、ライルの技術では足りない。
 普通ならば時間をかけて学ぶことを短期間で叩き込まなければならず、自然とティエリアの教えは厳しくなる。教えを請う立場であるライルはもちろん、教える立場であるティエリアにも負担は増える。
 負担が増えたティエリアが、その原因を作った刹那へと八つ当たりするのは自然の流れだった。原因を作った張本人である刹那は八つ当たりされても文句は言えず、口を噤むしかない。
「それは……」
「お前を責めているわけじゃない。お前をここに連れてきたのは、確かに俺の責任だからな」
 ティエリアの八つ当たりぐらいなら許容範囲だと笑ってみせる刹那に、胸がざわめく。
「なあ、刹那」
「何だ?」
「どうして俺を選んだんだ?」
 ライフルの扱いに長けているライルが、ケルディムガンダムのマイスターとして選ばれた理由としては納得がいく。けれど他に候補がいなかったわけではないことを、ライルはティエリアから教えてもらっていた。その中にはもちろん、ライル並みとまではいかないが、ライフルの扱いに長けている者もいた。MSの扱いについては、きちんとした訓練を受けており、即戦力として使えたはずだ。それなのにどうしてMSについては素人に毛が生えた程度の自分が選ばれたのか、ライルにはずっと疑問だった。
「……始めはお前を選ぶつもりはなかった」
「どうして?」
「お前は、ロックオンの弟だ。先の戦いで命を落としたロックオンに代わって、命を危険にさらすガンダムマイスターになってほしいとは思っていなかった。でもお前は、カタロンの構成員だった」
 刹那しか知らない事実。試しにティエリアへと探りを入れてみたが、刹那から何も聞いていないのか知っている様子はなかった。
 カタロンの構成員であることを刹那以外が知らないことはライルにとってはある意味好都合だ。けれど、なぜ刹那はそのことをほかのメンバーへと話さないのか、その理由までは知らない。
「カタロンの構成員であり続ける限り、その命は常に危険と隣り合わせだ。なら、俺の目の届く範囲に置いておけばいいと思った」
「だからガンダムマイスターに選んだって?」
「それもあるが、決め手はお前がロックオンと同じぐらいにライフルの扱いに長けていたからだ。そうでなければ選ばない」
 どちらが欠けていても、刹那がライルをガンダムマイスターに選ぶことはなかった。
「俺を守るために傍に置きたかったのか?」
「違う。お前に自分自身を守る力を持ってほしかった。俺には、誰かを守る力はないから」
 悲しげに目を細めながら、刹那は呟く。
 四年前にソレスタルビーイングが行った数々の武力介入は記憶に新しい。当時はまだ民間人だったライルが知り得る情報は少なかったとは言え、戦力の差が歴然だったことぐらいは知っていた。
 現在は違うとは言え、ガンダムの戦力はいまだに勝っている。それでも守る力はないと告げる刹那に、過去に何かあったのだろうか。ガンダムの力を持ってしても、守れなかった過去か何かが。
「……俺は、兄さんとは違う」
「ロックオン?」
「今はまだ兄さんに比べたら弱いかもしれないけど、俺は兄さんのように死んだりしない」
 立ち上がったライルは、刹那の頬へと手を伸ばすと、その顔を覗きこむ。互いの吐息が分かるぐらいにすぐ間近まで顔が近づいても何の反応も示さない刹那にライルは苦笑をこぼす。
 亡くなった恋人と瓜二つの顔がすぐ間近まで迫っても動揺しない刹那に喜べばいいのか、それとも悲しめばいいのか。
 反応を示さない刹那に、ライルは思わず口づけた。思わぬ出来事にそれでもすぐさま反応した刹那は後方へと下がろうとしたが、腰へとライルが手を回したことでそれは阻まれた。
 口づけは衝動だった。けれど触れるだけの口づけだったはずが、思いの外に反応した刹那に、ライルは深く口づける。
 無理矢理こじ開けた唇へと舌を進入させたライルは、口腔をなぶるように蹂躙する。刹那の必死の抵抗を抑え込みながら、息継ぐ暇も与えずに口腔を貪った。
 ようやく唇を離せば、肩で息をしながらぐったりとしている刹那に、ライルはそっとその躰を抱きしめる。
「刹那……」
 名前を呼ばれた刹那は、はっと顔を上げると、慌ててライルから躰を離す。唇を片手で覆いながら、少し距離を取った刹那はライルをキッと睨みつけた。
「何の真似だ、ロックオン!」
 顔を真っ赤にしながら、刹那は怒りをあらわにする。そんな刹那へと、ライルは真剣な眼差しを向けた。
「好きだ、刹那」
「……はっ?」
「好きだからキスした」
「ロックオン……?」
「いけなかったか?」
 首を傾げながら訊ねれば、呆気に取られた刹那は目を瞬く。
「本気で言っているのか?」
「本気で好きじゃなければ、野郎にキスなんてするかよ」
「俺がフェルトから何も聞いていないと思っていたか?」
 スッと目を細めた刹那に、やべっとライルは視線をそらす。兄であるニールを慕っていたという少女。彼女へとイタズラにキスを仕掛けた記憶は新しい。
 彼女へとキスしたことについて誰かに何も言われなかったことから、誰かに相談していたとは思ってもいなかった。まさかよりにもよって刹那へと相談していたとは。少し腹が立ってのイタズラだったとはいえ、こんなことならあんなことをしなければよかったとライルは後悔する。
「えっと、あれは」
「あれは?」
「ちょっとした出来心で」
「出来心?」
 険しくなっていく刹那の表情に、背中が段々冷たくなっていく。刹那にしてみれば、フェルトを始めとするトレミーに住んでいるメンバーは皆、家族のようなものだろう。その家族のひとりを、出来心とは言え傷つけたことに刹那が怒って当然だった。
「――すみませんでした」
 言い訳するわけもなく謝ったライルに、刹那は深々とため息をつく。
「謝るなら俺にではなく、フェルトに直接謝れ」
「分かった」
 神妙にライルは頷いた。美人が怒ると怖いと良く言うが、まさにその通りかもしれない。
 ティエリアも刹那もタイプは違うが、どちらも美人だ。ティエリアから怒鳴られるたびに肝が冷えるが、刹那の静かな怒りは背筋が凍る。どちらも怖いが、刹那の静かな怒りは背筋だけではなく、心臓も凍り付きそうだった。
 これ以上刹那を怒らせると流石にまずいと、ライルは素直に謝った。
「話は戻るが、どうして俺にキスをした?」
「理由を付けるなら、俺が本気で好きだって言うのを知ってもらいたいのと、俺を少しでも意識してもらいたかったからかな」
 全くというほど自分を意識していない刹那に、少しでも意識してもらいたかった。強引な手段を使っても。
 もしも刹那が自分の想いに気づくことがあったとしても、きっと気づかない振りをする。ならば、逃れられない方法で想いを知ってもらいたかった。そうすれば、意識せずにはいられないから。
「だからと言って、俺にキスして良い理由にはならないだろう!」
「でも、少しは俺のことを意識し始めただろう?」
「……っ」
「俺は本気だよ、刹那。本気でお前のことが好きだ」
 言葉を失った刹那の眸を真っ直ぐに見つめながらライルは告げる。
「……俺は、お前とは付き合えない」
「それは兄さんと付き合っていたから?」
「誰からそれを!?」
「ハロ」
 まさかハロから情報が漏れるとは想像にすらしていなかった刹那は、片手で額を押さえながら項垂れる。
「……確かに俺はロックオンと、お前の兄と付き合っていた。だからこそ、お前とは付き合えない」
「どうして?」
「お前がそれを言うのか、ライル?」
 苦笑しながらも訊ねる刹那に、ライルは頷く。
「お前はロックオンと似すぎてる。もしも俺がお前のことを好きになることがあったとしても、それはロックオンの身代わりとしてかもしれない。そんなの、お前に対して失礼だろう」
「だから付き合えないって?」
「そうだ」
 似すぎているゆえに付き合えないと。断言する刹那の顔を、ライルは覗き込む。今にも触れられるほどに近づいた顔に、刹那は顔を険しくする。
「身代わりでも良いって、俺が言っても?」
「ライル!!」
 瓜二つのふたり。ロックオン ニールの身代わりとしては、これ以上ないほどの存在。
「身代わりでも良い。でも刹那、俺は断言するよ。お前は絶対に、俺と兄さんを混同したりしない。あんたは俺を、兄さんの身代わりに愛したりなんかしない」
「どうして、そんなこと……っ」
「あんただけだったから。刹那、あんただけが俺と兄さんを唯一混同しなかった。両親ですらよく間違えていたのに、あんたは俺と兄さんを間違えなかった」
 誰もが見間違えるほどに自分たち双子は瓜二つだった。テロで亡くなった両親も、妹も。親友や友人も。かつての恋人たちも、誰もが間違えた。一度も間違えることなく自分たち双子を見抜けた者は誰ひとりとしていなかった。
 それは仕方のないこと。そう思っていたのに――。
「それはっ」
「兄さんが亡くなったから? でも、他の連中はよく俺を兄さんと間違えるよ。兄さんが亡くなっているって分かっていても」
 瓜二つだった双子の片割れ ニールは亡くなった。必然、残った双子の片割れ ライルはたったひとり。間違えるはずがなかった。
 けれど、記憶は錯覚させる。瓜二つな生き残った片割れに、亡くなった片割れを映して。
「……っ」
 懐かしそうに目を細めながら誰もが一度はロックオンを見つめる。ただひとり、刹那以外は。
 理性で分かっていても、感情がついて行かない。ロックオン ライルは、ロックオン ニールではないのに。分かっていても、求めてしまう。ロックオン ニールを――。
「刹那、好きだ」
 想いを込めて告げた瞬間、刹那は悲しげに顔を歪める。
「……勝手にしろ」
「諦めろとは言わないんだ」
 付き合えないと断言したのに。てっきり諦めろと言うものだと思っていたライルは驚く。
「諦めろと俺に言われて、諦められるのか?」
「まさか」
 ライルは肩をすくめる。諦められるなら、想いを告げるような真似などしなかった。それが、答え。
「なら言っても意味はないだろう」
 くるりと背を向けた刹那に、今日はもう諦めることにした。これから先、刹那とはずっと一緒にいられるのだ。焦る必要はない。時間をかけてじっくり陥落するのも良いかもしれない。否、それ以外にきっと方法はない。
 いまだ刹那の中には兄がいる。時間をかけてじっくりと浸食すれば、いつかきっと――。
「――ライル」
 背を向けたまま、刹那は名前を呼ぶ。
「刹那?」
「艦内は禁煙だ。煙草が吸いたかったら、地上に降りたときだけにしろ」
「あー」
 こっそりと誰にも気づかれないようにライルは煙草を吸っていた。証拠となりえる吸い殻や匂いもきっちり隠滅して。この一ヶ月誰にも注意されなかったことから、それらは完璧だった。ただひとつ、証拠となりえるものを忘れてさえいなければ――。
「煙草の味がするキスは嫌いか?」
 口腔に残っていた痕跡。微かな苦みは、数時間前に煙草を吸った確かな証拠。
 まさかキスで今までの苦労が水の泡と化すとは。自業自得とはいえ、後悔せずにはいられなかった。
「――苦い」
 きっぱりと告げた刹那に、目を瞠ったライルは腹を抱えて笑い出した。何がそんなにおかしいのだろうと思いながら、刹那は格納庫を後にした。






「兄弟揃って、同じ煙草を吸うんだな」






 刹那の姿が消えるまで声を出して笑っていたライルは気づかなかった。悲しげに。愛おしそうに。ぽつりと残した刹那の呟きに――。
Fin.